17日まで行われた2020年甲子園高校野球交流試合。センバツ高校野球に出場するはずだった32校が1試合ずつ戦い滞りなく終わりました。言ってしまえばオープン戦のようなものではありましたが、いつもの夏が戻った印象を持った方が多いのではないでしょうか。

関係者と中継クルー、取材メディアしか立ち入れなかったためスタンドにいたのは500~600人でしたが、拍手や自然に沸く歓声は数万人集まる普段の高校野球と変わらない迫力があった気がします。甲子園での事前練習ができないし、都道府県大会をこなした後といっても実戦の数は普段よりも少ないという決していいとは言えない条件の元ではありますが、熱のこもったプレーも見られました。とにかく、普通の夏を取り戻すことができたと実感できた時間だったかもしれません。

プレーそのものの楽しみもありましたが「無観客」だから感じられる音も楽しめました。高校野球独特の試合後の挨拶というのが印象的でした。普通ならアンパイアの「礼!」と選手の「ありがとうございました」くらいしか聞こえませんが、アンパイアが「礼!」という前に「終わります」というのを今回初めて知りました。他にもアンパイアが選手にいろいろな声をかけているのもわかりました。内野ゴロなどで明らかにアウトになったバッターには「You Are Out」ではなく「He is Out」というそうですが、ランナーがどこかの塁にいるような場合は「バッターアウト」と呼ぶのも今まで気づきませんでした。歓声やブラスバンドの音色こそ高校野球という人もいるかもしれませんが、普段なかなか気づかない声を体感できるのもいい経験かもしれません。

では、また次回です。

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先週に続いて大相撲7月場所で30場所ぶりの優勝を果たした照ノ富士の話を。現在28歳の照ノ富士は鳥取城北高校を卒業してプロ入りしたのでプロ10年目ですが、何度となく土俵人生の転機を迎えているようなんです。

最初の転機は部屋の解散。高校卒業後まず56代横綱若乃花(2代目)の間垣部屋に入門し、2011年5月の技量審査場所(夏場所の代替開催)で初土俵。彼を入門させたくても外国出身者の入門受け入れ規制で泣く泣く諦めた部屋の師匠もいたというほどの有望株といわれていました。順調に番付を上げていきますが師匠の体調が悪化したため2013年3月に部屋は解散。63代横綱旭富士の伊勢ケ浜部屋が当時所属していた力士たちを受け入れました。間垣部屋時代には若三勝と名乗っていましたが、伊勢ケ浜部屋に移ったのに合わせて現在の照ノ富士を名乗るようになりました。照ノ富士の「照」は現在から数えて2代前の師匠だった38代横綱照国(1代前の師匠は元大関清国)、「富士」は現在の師匠の旭富士からそれぞれとったというのですから期待はかなりのものだったかもしれません。その期待に見事にこたえて移籍後2場所続けて勝ち越しを決め関取の座を勝ち取りました。一説には、間垣部屋時代は師匠が満足に指導できずちゃんこにも事欠いてしまい、あまり環境が良くなかったといわれていました。しかし、伊勢ケ浜部屋に移って稽古環境が一気に改善して番付を一足飛びに駆け上がれるようになったといいます。

次の転機は大関からの転落。2015年夏場所の初優勝で大関昇進しましたが、ひざや肩のケガが重なりカド番を何度も経験。ついには2017年秋場所限りで大関から転落。糖尿病も発覚し番付は更に下がっていきます。その間には当時の横綱・日馬富士が巡業先の鳥取県で幕内力士に暴行をふるった場に同席していたために相撲協会から厳重注意を受けたこともありました。大関から転落した力士は、大関陥落が確定してすぐとか幕内から十両に転落した時に引退を決断するものです。しかし、照ノ富士は大関陥落が25歳の時だったこともあってか、ひざと糖尿病の治療を優先させることを師匠とともに決断。序二段からの土俵復帰に至ったわけです。その後は…といえば、もうお分かりの通り。勝ち越しを続けて着々と番付を戻していきました。「2015年の優勝はイケイケだった。でも、今は周りをよく見て1つ1つ大事にするようになった」と振り返るように努力を重ねて優勝にまで至りました。

年齢的に可能だったといえばそれまでかもしれません。人それぞれの引き際の考え方もあるかもしれません。でも、挽回が叶えば進化へのターニングポイントにすることもできることを証明できたともかんがえられるのではないでしょうか?

ではまた次回です。
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新型コロナウイルス感染拡大の影響で2週間延期されたため、異例の月またぎ開催となった大相撲7月場所。2日に千秋楽を迎え、照ノ富士が13勝2敗で30場所ぶり2度目の優勝を果たしました。5年・30場所ぶりの優勝は、2度目の平幕優勝を果たした1998年九州場所の琴錦の7年・43場所に次ぐ2番目のブランク。大関から一度転落した力士の幕内優勝は1976年秋場所の魁傑以来44年ぶり2例目。大関から序二段まで転落した力士が幕内に戻ること自体史上初ですから、そういう力士の優勝は当然初のケースです。プロ野球の千葉ロッテ、Jリーグの柏レイソルに続く「史上最大の下剋上」になりました。

大関の場合、2場所連続で負け越せば次の場所は関脇に転落。関脇になった場所で10勝以上しないと大関に戻ることはできず、場所数を重ねていくと大関復帰へのハードルは高くなります。豪栄道のように関脇に転落したら即引退とか、小錦や霧島のように幕内の座を守れなければ引退という選択をする人が多い中、照ノ富士はケガや糖尿病の治療を優先させたため序二段での土俵復帰となったわけです。各メディアで取り上げられている話ですが、師匠の伊勢ケ浜親方は照ノ富士が5度か6度引退を申し出ても「けがや病気を治してからこの先のことは考えよう」と説得し、それに照ノ富士が応じて治療やリハビリに取り組んだというわけです。

それだけでも大変なことだろうに、もっと大変な苦難を乗り越えたというんです。週刊大衆7月20日発売号の独占インタビューで照ノ富士本人が「主治医から『何もしなければ余命2年だった』と言われた」と告白しています。けがに追い打ちをかけるように糖尿病が襲い、手足に力が入らない状態が続いた中でこの余命宣告があったというんです。膝のケガを治すだけでも大変なのに、糖尿病の治療も絡むとなおさらのこと。しかも余命宣告を受けるところまでに至ったというのですから、まさに史上最大の下剋上と言えるのではないでしょうか。まだ28歳ですから挽回できる時間は十分あります。どこまで番付を戻していくのかをこの先楽しみにします。

では、また次回です。
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異例ずくめの中で19日から始まった大相撲7月場所。新大関朝乃山が奮闘しています。朝乃山は本来5月の夏場所で大関デビューを果たすはずだったのが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になったため2か月遅れのデビューになりました。横綱はもちろん大関昇進者がいる場所が中止になるケースはないからこそ朝乃山の注目度は輪をかけて大きくなるのかもしれません。そんな場所の中で面白いテレビを見たんです。

22日に日本テレビ系で放送された「笑ってコラえて!」。チャンピオンの身内なり知り合いを紹介する「日本列島チャンピオンの旅」が放送されましたが、この中で義理のおじ(兄嫁の父)が27代横綱・栃木山というお爺さんが登場。このお爺さんは栃木山が小結だった1916年5月場所で56連勝中の22代横綱・太刀山を倒した時のフィーバーぶりを熱く語っていました。得意のもろハズで絶対王者だった横綱を倒すと勝ち名乗りしている時に観客が土俵に乱入するは、花道を引き揚げようとすると背中に100円札を張り付ける観客が現れるは、挙句の果てには退場口近くでたくさんのファンに胴上げされてしまったというんです。今の両国国技館だったらこんなことはありえません。土俵に乱入しようと思えば周りの力士か勝負審判の親方に止められるだろうし、力士と観客の導線が完全に分離されているため観客が寄ってたかって胴上げなんてことはできないはずです。

そういえば、3月の大阪場所終了後に朝乃山の大関昇進が決まった時、富山県出身者の大関昇進は太刀山以来という話をしましたがその時に太刀山を「大正時代最高のスターアスリート」と称しました。43で連勝が止まった次の日から56連勝を記録するというのはものすごいこと。しかも連勝と連勝の間の黒星は人情相撲によるものと言われているので、本気出していれば双葉山の69連勝をはるかに上回る100連勝を達成していたかもしれないというのも大変なものです。そして、その太刀山を倒して横綱になり、1909年以降の近代相撲で唯一の横綱通算勝率9割を記録するまでに至った栃木山も「大正時代最高のスターアスリート」と称してもいいかもしれません。引退直後に参加したトーナメント大会で現役力士を倒して優勝してしまったというエピソードもスターたらしめる一面かもしれません。

では、また次回です。
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将棋の藤井聡太7段が16日の棋聖戦5番勝負の第4局で渡辺明棋聖を通算3勝1敗で下し、17歳11か月の最年少タイトルホルダー記録を樹立しました。ボクシングでいえば最年少の世界チャンピオン誕生といえばいいでしょうか。一方で王位戦7番勝負も並行して行われていて、藤井新棋聖が短期間に2冠を獲得する可能性もあります。これはボクシングではありえないことです。WBAとWBCの同じ階級の世界タイトルマッチに1か月以内に立て続けで挑戦するようなものです(将棋にボクシングの「統一戦」のような考えがないからですが)。プロレスだとベルト獲得の翌日に防衛戦なんてことはありますが。

約1歳の記録更新というのも素晴らしいですが、新型コロナウイルスの影響で愛知在住の藤井7段が東京の将棋会館にも大阪の将棋会館にも移動できない時期があって日程がかなりタイトになった中で戦い抜いたこともまた素晴らしいです。「タイトルを獲れば対局(試合)数は増えるもの」と業界では言われているそうですが、今年の増え方、詰まり方は極めて例外的なものといえそうです。そういう中での快挙は本当にすごいことです。

棋聖戦の場合は1日決着制を敷いているためありませんが、王位戦は2日がかりで対局するため、1日目の対局終了時間になると2日目スタートの1手を何にするかを用紙に記す「封じ手」というしきたりがあります。藤井7段も王位戦で経験しましたが、必要なサインを書き忘れたのを木村一基王位に指摘されて書き足すなんてシーンがあったとか。経験を重ねるとそういうエピソードも笑い話みたいになるのかもしれません。ボクシングに例えてばかりだと将棋ファンの方は気分が良くないかもしれませんが、ボクシングではベルトを巻き続ければ強さとまた違う風格が増してくるものと言われています。きっと、藤井棋聖にも備わってくるはず。そして将来的にはタイトル統一を視野に入れることができるようになるかもしれません。

では、また次回です。
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