地方13戦10勝・JRA2戦0勝、重賞8勝という競走成績を残して繁殖入りしたロジータ。えてしてこういう牝馬は産駒の成績が奮わない事が多いのですが、彼女は違いました。
初年度産駒のシスターソノはJRA2勝で阪神3歳牝馬S(現阪神ジュベナイルフィリーズ)に出走。
3番仔オースミサンデーは弥生賞2着。
5番仔イブキガバメントはJRA重賞2勝。
6番仔カネツフルーヴは'02帝王賞・'03川崎記念のJpnⅠ2勝を含む重賞4勝。
シスターソノ産駒のレギュラーメンバーが'00ダービーグランプリ・'01川崎記念・'01JBCクラシックを制しています。

川崎競馬ではくしくも今晩、彼女の名を後世に残す3歳牝馬限定のSⅠ重賞・第28回ロジータ記念が行われます。
春の実績馬に混じって、前走古馬のB3クラスを勝った上がり馬の⑭ローレライが、ロジータの牝系の曾孫に当たります。母アルデュイナは1勝馬でしたが、祖母アクイレジアは川崎開催の関東オークス2着馬。
幾多の実力馬が、血脈を継ぐ馬が、新たな伝説を生まんとする舞台。
自らの名を冠したレースを、きっと彼女は天から見守ってくれていると思います。

改めてロジータのご冥福を祈ります。
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'89年の南関東三冠馬(当時は羽田盃・東京ダービー・東京王冠賞)で、同年の浦和桜花賞・東京大賞典・'90年の川崎記念を制した名牝ロジータが、昨年12月に死亡していた事が、7日にかつて所属していた神奈川県川崎競馬組合から発表されました。
30歳でした。
生まれ故郷で繋養先の新冠・高瀬牧場の馬房内で立てなくなり、そのまま息を引き取ったそうです。

浦和の桜花賞を優勝した後に牡馬三冠路線に方向転換。羽田盃・東京ダービーを制した陣営が秋初戦に選んだのは、当時地方勢にとってはジャパンカップのトライアルだった中山のオールカマーでした。
5着ながら地方馬最先着で代表となったロジータ。東京王冠賞を優勝して牝馬の身で南関牡馬三冠を達成後にJCに挑戦しましたが、いかんせんレースタイムが速過ぎた。
ホーリックスvsオグリキャップの壮絶な叩き合いで、芝2400mを2分22秒2という当時の世界レコードとなったこのレース。のみならず15頭立てブービーのキャロルハウスまでも当時の日本レコードタイの2分24秒9という超高速レースとなり、ロジータは2分26秒9(年によっては今でも日本ダービーを勝てる)で大差の最下位となってしまいました。
しかし南関東での強さは圧倒的でした。
まだ交流レースになっていなかった東京大賞典で、この一戦の為に南関へ転入した岩手の怪物スイフトセイダイに4馬身差をつけて完勝。引退レースとなった川崎記念では単勝が1.0倍の元返しとなったばかりか、他の出走馬の単勝が全て万馬券という前代未聞のオッズで、2着に8馬身差をつけての圧勝で競走生活を締めくくりました。
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11.5EDION第一の結果を受けて、新日1.4東京ドームのカードが続々決まってきました。
既定のIWGPヘビー級・オカダ・カズチカvs内藤哲也に加えて、IWGPインターコンチネンタルが棚橋弘至vs「元青い目のヤングライオン」ジェイ・ホワイト。
IWGPジュニアが新王者マーティ・スカルvsウィル・オスプレイvsKUSHIDAvs高橋ヒロムのフェイタル4WAY戦。
そして驚かされたのがIWGP USヘビー級選手権。

ケニー・オメガvsクリス・ジェリコ

Y2Jが新日マットに上がる!
若い頃はWARでライオン・ハートだったり冬木軍のライオン道になったり、WCWのクルーザー戦線で活躍していたわけで新日との接点はあったと思いますが、新日マットそのものに上がった事はあったかどうか?ちょっと思い出せません。
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今現在、「アメトーークSP」で、「プロレス大好き芸人ゴールデン」を放送中。
……テレ朝チャンネル2で新日11.5EDION第一の生中継中。

何故「アメトーークSP」を1週ずらしてくれない(泣)
両方同時に録画出来ないので、ワープロLIVEを録画して「アメトーークSP」を観ています。
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政府から平成29年秋の叙勲が発表されました。
日本人以外に外国人の叙勲もあり、その中で旭日双光章の受章者の一人に「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ジョン・ベイヤー)さんが選出されました。
'54年に素顔でデビュー。'62年にマスクマン「ザ・インテリジェンス・センセーショナル・デストロイヤー」に変身し、当時のロサンゼルスWWAで覆面レスラー史上初の世界王者に君臨。
'63年5月に初来日し、足4の字固めを武器に力道山最後のライバルとなり、力道山死後も豊登・馬場さん・猪木さんと激闘を繰り広げました。
'72に全日が旗揚げすると翌'73年から'79年6月まで日本陣営として所属。ミル・マスカラス選手やアブドーラ・ザ・ブッチャー選手らとの名勝負を残しました。
その後も年1回ペースで全日に特別参戦を続け、'93年に引退。その後は現在も住んでおられるニューヨーク州アクロンで、高校の体育教師や水泳教室のインストラクターを務めました。
引退後も少年レスリングチームを引率するなど毎年1回は必ず来日を続けておられる親日家で、東京・港区の麻布十番納涼祭りでのチャリティサイン会は毎年恒例となっているそうです。
日米両国の友好親善と青少年育成に長年に渡って貢献してこられた事が、今回の叙勲という形になりました。
現在87歳。80歳の時に水泳インストラクターを引退した後は悠々自適のようです。数年前から歩行器が必要になったそうですが、(恐らく存命最後の)力道山のライバルとして、いつまでも長生きしてもらいたいと思っています。
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