ヤクルトは極度の打撃不振を打開するために野村監督時代打撃コーチだった伊勢孝夫氏を打撃アドバイザーに迎えた。伊勢氏は今のヤクルトの弱体化は野村ID野球の長所をすっかり捨て去ってしまったところにあると分析した。

 若松氏までは野村野球を継承し、リーグ優勝もしているし、連続4年Aクラスを維持した。ところがその後監督になった古田辺りから野村野球の長所をすっかり捨ててしまった。そこに今のヤクルトの弱体化の原因があるとしている。

 古田は現役時代、野村IDの申し子のような存在であり、野村監督によって才能が開花した選手だった。野村監督から如何にしたら勝てるかを叩き込まれたはずだし、自身もよく知っていたはずだ。ではなぜ自ら監督したときそれができなかったか?

 それは「現役」にこだわりすぎたため、監督業が中途半端になってしまったからだと僕は思う。例のセパ統合案がオーナー会談で出たとき、真っ向から反対してチームを超えてプロ野球ファンから「古田人気」が一気に高まった。

 話を戻すと、そうでなくても監督業は大変な仕事なのに球団側の説得にも拘わらず現役にこだわり続けて選手兼監督(プレーイングマネージャー)を続けた。
 
 3年目球団側の「監督を続けてもらいたいが選手としては契約しない」ということで最下位という成績のこともあり監督を引退したわけだが、監督一本に絞ってやれば、ある程度の成績を残せたのではないかと思う。ただ監督と選手の兼業ではID野球どころか、やらなければならないことが多すぎてとても選手への指導どころではなかった気がする。

 余談ながら野村監督はヤクルトの全盛期をつくり上げた監督として評価は高いが、当時苫篠(弟)という走攻守三拍子揃った選手が新人として入団したが、長打力があったため1番バッターながらホームランを打ったりして逆に野村監督に叱られた。今の巨人の坂本のようなバッターだった。そのためいい選手でありながらベンチウォーマーだったことが多く、ついには広島にトレードに出されたときは苫篠ファンだった僕は野村監督を恨んだことがあった。

それと息子のことである。球団が変われば変わったで帯同し、野村沙知代夫人からのプレッシャーがあったのはわかるが、成績が悪くても一軍で使い続け、阪神での成績が低迷しのはそれが原因だとまで言われた。皮肉にも野村監督が代わり矢野が正捕手になると阪神もAクラス入りした。長嶋監督の一茂への子煩悩ぶりをよく口にした野村監督だが、それ以上に自分の息子にべったりだったのはむしろ野村監督である。ヤクルトや楽天では評価が高いが阪神では結果が出せなかったこともあり、それが余計目についた。
 
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